動画版はこちらをご覧ください

はじめに

生きる意味について考えることは 誰にとっても一度は通る道です.特に人生の節目や困難に直面したとき この問いは頭をもたげてきます.しかし 生きる意味を見出そうとする過程で 私たちは何を本当に求めているのでしょうか?

なんて いきなり哲学的な問いを突き付けられても ピンとこないかもしれませんね.大丈夫です.ここでは 「生きる意味はない」とする一つの視点から 私たちがどのようにこの問いに向き合うべきかを できるだけ分かりやすく 順を追って 探っていきます.

もし 人生に行き詰っていると感じている人がいたら 少しでもあなたの気持ちが軽くなればうれしいです.また 「知人になんて声をかければよいのか分からない」なんて人も 参考になればいいですね.

まずは 広い視点から 人間以外の生き物からその視点を学び 次に人間社会がどのように虚構を作り上げてきたかを見ていきます.最終的に 個人の意思がいかに重要であるかを考えます.

生きる意味はない

最近 ある老人から「私って何者? 生きる意味はあるの?」と聞かれました.今回はこれを考えます.

先に結論を言えば この質問自体が無意味です.人生に意味なんてありません.乱暴な言い方をすると 人間は暇だから 人生の意味を考えるのです.それより 「生きる意味」を考えるなんて 人間関係や社会のルールに疲れていませんか?

いきなりこんなことを言われても 意味が分かりませんよね? これを できるだけ分かりやすくお伝えします.

まず 当たり前のことから考えよう

まず あたりまえのことから考えていきましょう.
動物 植物 何でもいいです.人間以外の生き物を想像してください.

それでは質問です.

「生き物は何のために生きているの?」

生物学的な答えは 次の通りです.
食べ物を摂取して 自分自身を維持して さらに 子孫を増やして繁栄するため.
というのも 「生き物の定義」とは

  • 外界と膜で仕切られている
  • 代謝を行う
  • 自己複製する

つまり おおざっぱに言ってしまえば 「子孫繁栄」のためです.

しかし こう考える人もいるかもしれません.一種だけが繁栄したら 生態系のバランスが壊れて 逆に滅びる.「子孫繁栄」のためだけに生きていたら 逆に滅びる結果になるのではないか?と.

例えば ニホンジカ.

※イメージです 詳しい種類は分かりません

日本各地でニホンジカの個体数が急増しており 特に本州 四国 九州の山間部で顕著です.これは天敵であるオオカミが絶滅したことや 人間活動の影響によりシカの生息環境が拡大したことが原因とされています.ニホンジカが増えすぎた結果 森林や草地の植生が大きく損なわれました.シカが若木や低木を食べることで森林の更新が阻害され 長期的にはシカ自身の食料も不足するようになりました.

このように 自然界では 一種だけが繁栄したら 生態系のバランスが崩れて逆に滅びる結果となりかねません.では なぜニホンジカは子孫を増やし続けるのでしょう? 「森の守り神であるシシ神さま」の思し召し! そんなことはありません.生き物は 遺伝子にそうプログラムされているから 種族繁栄するために動いているだけです.

※イメージです

自然界では 多様な種類の生き物が集まって 食物連鎖で均衡を保っているだけです.人間のように 「子供を増やそう」だとか「一人っ子政策をとろう」なんて 何らかの意志はありません.ましてや 「森の守り神 シシ神さま」のように 何らかの超自然的な 神のような意思はありません.たまたまそうなっているだけです.

生き物は 「種族繁栄」とプログラムされているから そう動いているだけです.

では人間はどうなの?

私たちは忘れがちですが 人間だって 生き物です.種族繁栄のために活動し 自然の中で 食物連鎖の中におさまっていました.ただそれだけです.自然の摂理にすぎません.なので 自然の摂理に感情を持ち込んで その意味を考える余地はないのです.自然の摂理は自然の摂理.ただ そうなっているだけ.

しかし人間は それ単体では とてもか弱い生き物です.突然 人気のない山奥に放り出されたら 食べ物が確保できません.飲み水も確保できません.水たまりの水を飲んだら お腹を壊します.虫に刺されて 湿疹ができてしまいます.安心して寝ることもできません.

このように 人間は それ単体では とても弱い生き物です.ですから みんなで寄り集まって「社会」を形成しました.ルールという 「虚構」を信じるように進化しました.

「虚構」とは何でしょう?

時に「虚構」は人々を戦争に駆り立てる

「虚構」とは 実際にはない 作り上げたもののこと.要するに 作り話のことです.人間は 「作り話」を信じるように進化したのです.

なぜでしょう.それは みんなが感情のまま好き勝手に生きては 社会がうまくいかないからです.ですから 「ルール」という虚構を発明したのです.

例えば みんなが好き勝手に あなたの持ち物 スマホやお金などを 自由に使ったらどう思いますか? 嫌ですよね? 自分が使いたいときに ないのは困りますよね? だから 「所有権」というものを発明し 「窃盗罪」や「横領罪」などのルールを作りました.

「所有権」「窃盗罪」「横領罪」などのルールは 普遍的ではありません.その土地や文化によって 変化する作り話です.「ルール」は「作り話」.お分かりになったかと思います.だけど それでは収集がつかないので それを「みんなで守りましょう」と決めました.このルールが高度に発展し 現在のような社会システムが構築されたのです.

ルールだけでは 人は守らない

社会がうまく回るように 頭がいい人が一生懸命考え いろいろなルールを決めただけでは 社会はうまく回りません.なぜなら 人間は合理的な「説明付け」がないと信じないからです.

ですから 大昔は「森の守り神:シシ神さま」みたいな 超自然的な虚構 作り話を考えて 説明しました.

例えば 「稲妻」.漢字では「稲の妻」と書きます.なぜ 稲の妻?と考えたことはありませんか?

それは お米に雷が鳴って そうして お米に子供を宿して お米に穂が実ると説明付けたからです.こんな感じで 地域ごとに いろいろな神話が生まれました.だけど 人間は移動します.

文明が発達すると 別の大陸の人たちと交流をはじめるよね

そうなってくると その土地ならではの神話では 自然の摂理に対して 説明ができなくなってきます.だって 稲妻の説明は お米を栽培している地域しか通じませんからね.だから 人間は すべてを超越するような「カミ」 絶対的な「カミ」のような人格を発明し それを自然現象に結びつけて説明しました.だから 例えば稲妻の説明は 例えば「人間が罪を犯したからカミが怒って稲妻を落とした」みたいな神話に変化していったのです.

しかし 神話という説明付けも 高度に文明が発達すると 無理が生じます.そこで 人間は 「倫理」や「道徳」などの説明付けが発達しました.それが国民全体が信じると「イデオロギー」と呼ばれる概念になり そうしてヨーロッパで「人権」という概念が発明され 人権だけは無条件で特別なものと決め 多くの国がそれを信じ今に至りました.

社会のルールが正しいとは限らない

いかがでしょう? 人間は 寄り集まって生きていくために 「ルール」という虚構・作り話をつくり それを説明付けるための「神話」をつくり それがさらに発達して 「倫理」や「道徳」となり 国の倫理を「イデオロギー」と呼ぶようになったのです.忘れないで欲しいのですが これらはすべて「虚構」にすぎません.だって そうでしょう.「赤信号は停まれ」は 決めるだけでは意味がない.ルールは みんなが守って初めて意味を持つのですから.

ですから 勘違いしないでください.ルールが神聖なのではない.人がルールを守るから神聖化されるのだ と.虚構や作り話の類は それを信じる人の数で 影響力が変わってくるのです.だって それが正しいとは限らないのだから.

効率化の結果 ヒマになっただけ

人間は みんなが幸せに生きたいという「意思」の下 頭がいい人間たちが その叡智をもって 高度に「虚構・作り話」を発達させたのです.これは偶然ではありません.時代の必然によって生じた結果なのです.

生きる目的を見失った人はいませんか?

生きる目的なんて 初めからありません.私たちは 社会を形成して みんなが繁栄するように 遺伝子の命令に従って活動しているだけです.そもそも 生きるのに精一杯だった時代は 「生きる目的」なんて 人間は考えませんでした.

じゃあ なぜ 人間は「生きる目的とは?」なんて 答えのないものを考えるようになったのでしょうか? それは みんなで仕事を分担して 効率的になって ヒマができたから です.

スピリチュアル的な回答を求めていた人がいるとしたら 夢のない答えで すみません.人間に 「生きる目的」なんか初めから無くて もともと無いものを求めているから 答えは見つからないのです.では なぜ 「生きる目的」を人は考えるようになったのか? それは 生きるのに「暇」ができたからです.

実は 大昔からみんな悩んでいた!

人は ヒマができたら もともとありもしない 「生きる目的」なんてものを 見失った気になって 悩みます.

では この種の悩みは 現代特有なのでしょうか? いいえ.そうではありません.大昔から 人は同じ悩みを抱えています.

人間が生きるのに そんなに苦労しなくなったのは 実はもう 何千年も前.農耕が始まったあたりからです.農耕が始まって 人は 食べるのにそんなに苦労しなくなりました.麦や米は 長期保存ができますからね.

人は 農耕がはじまったあたりから 暇になりました.暇になると 人は 食糧問題以外の事で 悩み始めます.それが「人生とは?」などの 哲学・宗教・思想的な悩みです.

誤解しないで欲しいのですが 哲学・宗教・思想を 私は否定しているわけではありません.むしろ 何千年も前から 人は 同じような悩みを抱えているのだから 逆に それらを学んでみてはどうでしょう.怪しげなものはさておき 哲学・宗教・思想は とても論理的に考察されています.ですから 何の手がかりもなく 一人で悩むよりは 過去の先人たちの知恵を覗いてみることは 良い事だと思います.

ただ どれも最終的な解答はありません.最終的な回答があれば 宗教戦争は起きませんよね.最終的な解答がでていない限り 「虚構 作り話」であることには 変わりないので そこは注意してくださいね.

幸せになるために 生きている

人生に意味なんてありません.人間関係や社会のルールに疲れて だけど暇があるから 人は「人生の意味」を考えます.人生の意味を考えるのに 「哲学・宗教・思想」などの先人たちの軌跡を学ぶことは とても有効です.だけど どれも答えがでてないことを 忘れないで.

最初にもどって考えると 人間は 生き物の一つに他なりません.ということは そのDNAに 「種族繁栄のため」と刻まれてる.「繁栄」とは 「栄える」こと.つまり 「幸せになること」ととらえても 差し支えないと思います.

数は増えたけど 不幸せに生きるのは 「栄える」とはいいませんよね?1つの種だけ栄えても 生態系が崩れて 結局は滅亡へとなってしまう.

つまり 幸せに生きるとは 他の人や 他の生物も考慮に入れ その中でバランスをとりながら生きることに 「幸せ」の糸口がありそうですね.

だったら もう 「生きる目的」を「幸せになるため」と決めちゃっても よくないですか? どうせ 人生に意味なんてないんだから.

自分が幸せになるために 今の仕事が障害になるのだったら やめればいい.人に相談して解決するのなら そうすればいい.自分の考え方を変えるだけで済むのなら そうすればいい.大事なことは やせ我慢をしないこと.

人間ってうまくできてて 自分一人だけ幸せにはなれません.不幸せな人が目の前にいたら どうしても気になってしまう.あなたが不幸せそうに仕事をしていたら きっと会社の同僚は 気にしていますよ.逆に 赤の他人であっても 幸せそうにしていたら うれしいものです.

社会のルールとか 人間関係とか そんなものは ぜーんぶ 作り話です.作り話の為に あなたが不幸せになるのだったら 本末転倒ですよね? すぐさま 行動しましょう!

あなたの意志が大切

私たちは 学校教育という 他人が決めた作り話の中で 「一歩一歩 地道に歩んでいけばよい」と教えられています.だけど 私は 逆だと考えます.

はじめにゴールを「幸せな人生」と決めてしまって どうすれば 幸せな人生になるのか どうすれば楽しいのか?を 逆算して 生きていってもいいと思うのです.

「幸せな人生」は 人によって 違います.だけど 大丈夫.「自分一人だけでは幸せになれない」という 根っこの部分が同じだったら きっと 誰とでも 協調できますよ.もし 「自分一人のために」 そんな人がいたら 離れちゃってOK.着拒&ブロックしましょう.

人生の目的なんてないのだから 自分で決めちゃいましょう.あなたの生きる目的を 「幸せ」と決めてしまい そのためのに頭を使って 行動していくのです.これまで惰性で生きてきた老人も 生きる価値に悩む若者も まずは「幸せに」というゴールを自分の意思で決めることが大切です.つまり生きる意味とは あなたの意思次第なのです.

まとめ

生きる意味は 人間が暇を持て余す中で見つけようとするものに過ぎないという視点から始まりました.しかし この問いには確固たる答えが存在しないことを理解することが重要です.生き物としての人間は 自然の摂理に従い 種の繁栄を目指して生きていますが 社会的存在としては虚構のルールや概念に基づいて生活しています.このような虚構やルールは 人間が協調して生きるための手段に過ぎません.

最終的に 私たちが生きる意味を見出すためには 「幸せになること」を目的とするのが一つの方法です.幸せになるためには 自分自身の意志を大切にし 自分にとっての幸せを見極め それに向かって行動することが重要です.社会のルールや他人の期待に縛られるのではなく 自分自身の幸せを追求することこそが 人生に意味を持たせる鍵なのです.